隅田川西岸のこの町は、海浜を埋め立てた地ということから「浜町」と呼ばれ、江戸時代には熊本・細川家や鳥取・池田家などの屋敷、別邸が連なる静かな武家地でした。
明治時代には浜町河岸の大川端は庶民の夕涼みの場や水練場としても知られ、夏には日本泳法の多くの流派の小屋が建ち並んだとも伝えられています。浜町河岸沿いには有名な花柳界も形成されました。
この町の輪郭が、ほぼ現在の形になるのは、大正12(1923)年の関東大震災後でした。三業地に変わっていた細川別邸の跡地などを利用して広大な面積の浜町公園が作られ、さらに焼失した久松町の明治座が浜町2丁目に移って開場したからです。以後、散策や観劇などで区民や都民に親しまれ、さらに花柳界も加わり、憩いの場、癒しの場になりました。
戦後は、住宅やビル、賑やかな商店街などが入り混じる町に変貌してきました。しかしビル化が進み、オフィスが増えるとともに、他の地域と同じように夜間人口が減少、商店街は厳しい状況におかれるようになりました。商店会としては、盛り上げのための打開策を模索しています。
アクセス
住所 | 東京都中央区日本橋浜町2-48-7 |
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公式サイト | https://www.chuo-shokogyo.jp/stores/member_stores.html |
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