大規模な都市再開発、高層住宅の建設ラッシュなどにより人口が急増している月島、勝どき地区は、中央区の中で唯一つ江戸時代がない、歴史の1ページ目が明治時代の埋め立てから始まる地区です。
月島の誕生は明治25年。
江戸の埋立地・佃島(現佃1丁目)の先の砂州が埋め立てられ、まず月島1号地(現月島)、続いて27年に月島2号地(現勝どき)、29年に新佃島(現佃2、3丁目)が完成しました。
埋立地は殖産興国という国策によって重工業化が進められ、そこで働く労働者とともに商人も隅田川を渡りました。
対岸の築地との往来は、明治期は渡し船で行なわれたため、船着場に近い月島の西側区域が自然と商いの場になっていきました。
つまり、月島の中心、清澄通りより隅田川寄りの西仲通りに商店が集まり、明治末には露店も含めて商店街らしい形になったようです。
この月島西仲通りは戦災を免れたため、戦後いち早く復興、商店会活動にも早くから取り組みました。
歴史の浅い町が罹災を免れて、戦前の街並みを残す下町情緒溢れる歴史ある町へと評価を一変させたのです。
商店会は、古い街並みを生かしながら、アーケード設置などの共同事業を行ない、利便性とイメージを高め、商いの町を存続させてきました。
その町が近辺の人口増加と“もんじゃ焼きブーム”で、今また大きく変身中です。
もんじゃ焼き店は独自に協同組合を作り、加盟店だけで60店を超え、ウィークエンドにはもんじゃのお客さんで観光地のような賑わいを見せています。
アクセス
住所 | 東京都中央区月島3-15-12 |
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公式サイト | https://www.chuo-shokogyo.jp/stores/member_stores.html |
X | https://twitter.com/nishinaka_st |
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